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はり・きゅう 丙辰堂治療院

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主食について

日本人の主食は、米だと言われています。

あるいは、パンや麺なども含めて、炭水化物を主食だとすることもあります。

日本では昔からお米が食べられてきたと言われることも多いですが、その昔とはいつ頃でしょうか?

実は、日本人全体がお米を日常的に食べられるようになったのは、ごく最近のことです。

第二次世界大戦中に、お米が配給され、全国民に行きとどいたのですが、それまでは高価なお米は、貧しい庶民が普段から食べられる物ではありませんでした。

しかし、歴史的な経緯から、日本人全体にお米に対する強い執着とあこがれがあったことは事実です。

日本に稲作が伝わったのは、縄文時代後期から弥生時代にかけて、約2000年~3000年前のことです。

それまでの日本人は、狩猟採集生活を営んでいました。

狩猟採集生活では、動物性の食品は重要視され、植物性の食材はそれを補うものとして位置づけられることが多いです。

食事のほとんどを動物性のもので賄うことは出来な方と多いおますが、縄文時代の日本の住民も動物の肉や魚介類を貴重な栄養源にしていたことは間違いないでしょう、。

それまでの日本には、お米はありませんdした。
小規模な農業を行っていた可能性も指摘されていますが、穀物が主な食用になったのは、稲作が伝わってからだと言われています。

東南アジア地域で広がった稲作は、日本には縄文時代の後期に伝わり、それが徐々に全国に広がったと言われています。


食糧の備蓄に適していることから、日本に限らず稲作の盛んな東南アジアでは、水田の開発が国家の形成に深く関与しました。

稲作の開始によって戦争が始まり、その調停者として王が出現したとする神話が東南アジアを中心に広く分布することが、文化人類学によって指摘されています。

古代の日本でも、同様の歴史がありました。

稲作は古代の国家形成と関係が深いです。

古代の日本では渡来系の民族が稲作を中心とした国家を形成し、狩猟採集民族であった土着の人々を支配下におさめながら、勢力範囲を広げていきました。

米は農作物のうちでも味が良く、栄養価に富み、しかも保存性に優れています。


稲作をすると、食糧を保存できます。

また、稲作社会は定住する必要があり、集団を形成する必要もあります。
そうすると集団をまとめる指導者が現れ、指導する側とされる側、身分の差が発生しました。
また、自分たちの農地を守る必要から、領土の概念が生まれました。

備蓄した食糧や、領土を奪い合うための戦争がはじまったのも、このころだと言われています。

一般には、農耕民族は平和的なイメージがあるかもしれません。
しかし、世界中で大規模な戦争を行ってきたのは、常に農耕民族でした。

農耕によって、食糧の備蓄が可能となり、分業が可能となり、身分の差が生まれ、労働直や戦力の集約、武器や農機具の生産が可能となりました。

こうして社会システムが発達し、現代に続く文明が生まれました。

古代の日本では小さな国が次第に淘汰され、今に続く天皇を中心とする王朝が現れます。

その王朝は、中国の律令制度という統治システムを参考にした国づくりを目指しました。

そしてこの、古代律令国家は、米を税の中心としました。

つまり、領民に米を生産させて、収穫したコメを年貢として徴収する社会システムです。

水田による稲作が国家形成の中心に据えられたため、その後時間をかけて、稲作が推進されました。

元々の日本人は、狩猟採集民族だったため、米を作り始めた後も人々の食事の内容には、肉や魚、地域の海や山、川から摂れる産物が重要な位置を占めていました。

しかし、稲作を中心とした国づくりが進むにつれて、狩猟採集ではなく、稲作、農業に労働力を集めたい支配者層の思惑から、農繁期の狩猟や肉食が禁止されるようになります。


また、同時に大陸から仏教が伝来しました。

仏教もまた、古代国家形成に重要な役割を果たします。

日本に伝来した大乗仏教には、肉食と殺生を禁止する教えがあります。

稲作と仏教が広まるにつれ、肉食を禁忌し、穀物と野菜を中心とする食文化がはぐくまれて行きました。

ヘルシーなイメージのある日本の伝統的な食事では、動物の肉をあまり使いません。

それには、このような歴史的背景があります。

菜食主義などでは、日本人には肉が合わないとか、ずっとお米を食べてきたから、お米が身体に合っていると言います。

しかし、歴史を眺めてみると、日本人は長い間肉食をしてきました。

稲作を中心とした農業に専念させたい思惑から、肉食を禁忌する思想がひろまり、表向きには肉を食べない風潮が広まりましたが、実際ほとんどの庶民は、高価なお米を食べることができず、雑穀や、イモの畑の作物の他に、地域の海や川、山から採れる様々な産物を利用していたようです。

その中には、イノシシやシカ、ウサギや鳥などの獣肉含まれますし、魚介類や昆虫も食料として重要でした。

時代が下るにつれ肉食の習慣が、仏教や神道の思想から、また農業お妨げになるということから嫌われましたが、その一方で、魚介類は積極的に利用され、漁業の発達につながったようです。


近代までの日本人がお米に特別な価値を見出し、戦後はお米が国民的な主食になったのは事実ですが、歴史的に観ると、日本人のほとんどが毎日お米を食べるようになったのは、ごく最近のことです。

また、江戸時代までの慣習として肉食を否定する思想があり、今でもその名残がありますが、それは、かなり政治的な思惑によるものだったということ、実際は、多くの日本人が肉を食べて命をつないできたということも、知っておく必要がると思います。

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